2014-02-21 第186回国会 衆議院 法務委員会 第2号
司法が破壊されたとき、毛沢東の人民裁判しかり、ポル・ポトの裁判しかり、これはもう無法の支配になるわけでございます。人の支配から始まり無法の支配へとつながっていく歴史というものがあるわけでございまして、そんな大昔のことでもございません。 そういった過去の経験を踏まえて、私は、この裁判員制度も決して人民裁判にならないような、観察、注意を怠ってはいけないということを考えます。
司法が破壊されたとき、毛沢東の人民裁判しかり、ポル・ポトの裁判しかり、これはもう無法の支配になるわけでございます。人の支配から始まり無法の支配へとつながっていく歴史というものがあるわけでございまして、そんな大昔のことでもございません。 そういった過去の経験を踏まえて、私は、この裁判員制度も決して人民裁判にならないような、観察、注意を怠ってはいけないということを考えます。
○片山さつき君 人民裁判で経済効果が出ないからといって物づくり日本の将来の芽を無駄だと決め付けるなと、ここまで言っておいて、百九十億円のものを百八十五、六億円に減らしてしまったために中国に抜かれて来年も一番になれないで、今年も二百十一億円しか付いておりません。これは絶対に修正するべきではないですか。もう一度伺います。与謝野大臣。
私は、国会議員であっても何であっても、私はそうした司法手続が完結をしていってそれが明確になるまで、いわゆるある意味では、素人裁判的に、人民裁判的にそういう問題を私は扱っていくということについては深く自制をしていかなければ、委員も御承知のように、我々の人類全体だって、日本人全体の営みの中においても、司法手続が完結した場合であっても、それが真実とは遠い結果であった場合もあるわけですよ。
人民裁判とは言いません。公開処刑とも言いません。ごっこです。だって、ずっと自民党でいらっしゃったころ、最終、八百億ぐらいですよね。最後のプラスするのを大蔵省が政治家にやらせた。 今、やはり同じように、マイナスですけれども、それは一兆、二兆とけたが上がっていますけれども、そこのところをいわば政治家にやらせている、仕分け人にやらせているというふうにしか私には見えないわけです。
公開処刑だとかあるいは人民裁判だなんという物騒な言葉も飛んでおります。 そういう意味では、私は、この事業仕分け、目的はいいんです、しかし、やはり手段が間違っている部分が大きいんじゃないか。そういう意味では、この事業仕分け自体を事業仕分けしなきゃいかぬのじゃないかというような気がいたしておりますので、冒頭のこの内閣委員会で質問させていただきます。
そして、先ほどマスコミ用語として、公開処刑がどうの人民裁判がどうのというお話もあるわけでありますが、それは各省庁の方々がそういうニュースをマスコミに流して書いていただいている向きがあるのではないか。 もう少し申し上げれば、マスコミの方々も、あるいはそういう言葉を発せられる評論家の方々も、すべて一度、一こまだけでもちゃんと傍聴をしていただきたい。
去る十二月十一日の本委員会におきまして、尾立源幸委員より、参議院を人民裁判だとした石原慎太郎東京都知事の発言に関し、委員長にその取り計らいを求める要請がありました。
ところが、どうも先ほどの尾立さんのお話では、十二月九日の都議会本会議での代表質問に対する石原知事の答弁ではその辺の私どもの手続を誤解なさったようなことが言われておりまして、さらに、参議院というのは参考人招致をする人民裁判をやるのかというようにおっしゃったと書かれております。これ、議事録ですので間違いはないと思うんですが。
○内閣総理大臣(麻生太郎君) 私に対する質問は、あれですか、石原慎太郎の対応に対してどう思うかという質問……(発言する者あり)参議院が人民裁判かと思うのに対してあなたはどう思うか、いや、私、全然思いません。
たしか最初のころは参議院議員だったんだと思いますんで、衆議院だったら人民裁判じゃないけど参議院のときは人民裁判だったと思っておられると言われたいわけ。ちょっと趣旨がよく分からない、意味がよく分からないんですが、少なくとも、どう言われているかという話に関してどう思われるかというのは、言われたら、ちょっと違うんじゃないかなと思います。
私も、そのころから、どうしてしまったんだろうという気がしていたんですが、たしか二〇〇四年の三月、親日反民族行為真相究明法、これは超党派の議員立法で成立をし、大統領直属のもとで委員会をつくって、日本統治時代の親日家、あるいは協力者というんですか、そういう人たちを裁いていくというか、一九一〇年の日韓併合当時の総理の子孫が私有財産を没収されるとか、事後法によって人民裁判的に、随分後ろ向きなことが二〇〇四年
きょうは人民裁判でもありませんので、余り個人的な攻撃をすることはいかがかなと思っておりましたが、私、率直に申し上げまして、まず、パロマの川瀬参考人のお話をちょっと伺いたいと思うんです。 今回の法改正というのは、要するに企業風土の刷新というか、企業のモラルが今問われていて、そして今回の法改正に至った。
もちろん、最高裁判所の判事の罷免等あるいは国会による弾劾裁判等の形でのコントロール、あるいは、もちろん法制度によるコントロール等はございますけれども、必ずしも適切な表現ではないかもしれませんが、いわゆる悪い意味での人民裁判あるいは魔女狩り、こういったものがかつて人類の歴史の中であったということを踏まえた上で、裁判というものは公平かつ独立でやらなければいけないというのが司法の本質であり、だからこそ司法
そして二点目は、魔女狩り裁判とか人民裁判とかが行われてはならないことは当然であり、無辜の不処罰、疑わしきは被告人の利益にという刑事裁判の大原則が尊重されなければならないこともこれまた当然であると。
やはり裁判において今までよく問題になったのは、魔女狩り裁判、そしていわばリンチ裁判、人民裁判と言われるもの。ある国民なり市民の怒りによって、血祭りに上げてしまえということで、人権規定、手続の規定も保障されないで、処罰される、処刑されていく。
密告社会や人民裁判は民主主義国家原理に一番反するものである、このように思っています。三等海佐の問題もしかりでありますけれども、密告が歓迎される社会は病気になりつつある社会である、このようにも思っているわけであります。
何ぼ国民が関与しても、うそを見破ることができずに裁判が行われれば、こんなことは人民裁判になってしまって、国民の信頼なんか得られるはずがない。しかるに、この法案で、司法の任務が実体的真実の発見であるという文言はないのです。国民の信頼だとかいろいろな文言はありますよ。
先生、予算委員会というのは何をやるんですか、人民裁判ですか、国会議員の皆さん方というのはあんなに理解が悪いんですか、同じ話を何度も何度も、どうしてあんなのしかテレビに映らないんですか、もう少し、我々国民のことを一生懸命考えていただいている、そういう姿を映していただけないんですか、予算の審議をやるのが予算委員会ではありませんか、そういう御意見をたくさんいただいたわけでございます。
事件の捜査はきちんとやっていただきたいし、本当に早く解決していただきたいと思いますけれども、捜査機関、司法機関でない報道機関が、まるで人民裁判のように押しかけて犯人捜しをする、そういう中でいろいろな人権侵害が起きてくる、こういった点について、大臣は、国家公安委員長として今どのようにお考えになっているか、最後にお考えをお聞かせいただきたいと思います。
それに対して、榊原財務官は、人民裁判はだめだとおっしゃっている。 草野さんの発言というのは、「公的資金を投入するに当たってですね。だけど、もう一つ踏み込んで、たとえば私財の提供というのはすごく浪花節的だというふうに言われるかもしれないけれど、なにかこいらへん、制度的なものがないと、国民はなかなか納得しないんじゃないかと。ひとこと伺いたい。」
で、榊原さんは、「人民裁判をやっちゃだめですね。文化大革命を起こしちゃいけないと思うんです。」こうおっしゃっている。 だから、いわゆる民間人の発言であれば、これは一つの見識として私は承るというのです。しかし、大蔵官僚としては、この発言は適切なのか。 金融機関に天下っている役員というのは、百六十四名も大蔵省から天下っているわけでしょう。
ここは私も一番気にしている点で、しかもこの七人委員会の審議というのは全部公開されるということになっているわけですから、そうするとこれは下手すると人民裁判になりかねないわけですね。
審査委員会がこれから成立後発足するわけでありますけれども、その審査委員会に対して申請、手を挙げる銀行、個々の銀行が手を挙げたその瞬間から人民裁判みたいなことで銀行が過去の経営責任であるとかあるいはずたずたのリストラだとか、そういうものを求められるというふうには我々は理解をいたしておりません。まず審査委員会が審査基準を公表されると思うのでございます。これは法律もそうなっております。
しかし、ここまで到達するまでの過去一年間の国会審議を振り返ってみるとき、政治改革をつぶそうとするあの守旧派の政治改革つぶしのための、人民裁判であるのか国会審議であるのかわからないような、すさまじい、冷酷非情、憎悪に満ちた攻撃と追及の国会審議を思い起こすとき、本当に身のももよだつほどぞっとするものがありました。
証人喚問というものが何かあたかも人民裁判であるかのように世の中で受けとめられている方々もいる、おられる、これはいかがなものであろうか。